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橋本関雪宝塚旧別邸「冬花庵観音堂」移築事業

  • 土木:都築建設(愛知県常滑市)
  • 施工:中央ナチュラル有限会社(愛知県名古屋市)
  • 設計:渡辺設計室(愛知県半田市)

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宝塚時代の冬花庵橋本関雪は、明石に生まれ、明治時代から昭和のはじめにかけて活躍した日本画家で、大正5年に京都市左京区に構えた住居は「白沙村荘」と呼ばれています。大文字山を借景に配置された回遊式庭園は国の名勝に指定されています。
関雪は、昭和11年に、宝塚市の高台に「冬花 (瓜) 庵」と名付けた別邸を造りました。その中に茶室及び栗御殿と庵や園庭を設け、庭園の随所には木造三重塔・鐘楼、宝塔・石仏など数多くの石造美術品を配しました。

名古屋へ移築

戦後、別邸の所有者が替り、分譲されて名古屋の篤志家野々垣修市氏が入手して一時家族が居住したが、昭和50年、「お堂」と呼んで親しんだ庵だけを、隠居用に自由ヶ丘の自宅の庭に移築しました。当初は茅葺きでしたが銅板葺きに変わりました。入母屋造に軒受け丸太が関雪好みを表しています。奇しくも、平成7年の阪神淡路大震災で、残る別邸の建造物が悉く倒壊するなどの被害に遭う中で、唯一被害を免れた建物となりました。

冬花庵観音堂の誕生

一方大善院では、冬花庵観音堂戦時中、戦死した奥条の遺族有志と築窯業山本組山本三一氏等によって、菰野町出身の彫刻家花井探嶺作の護国観音像が、当山に奉安されましたがお堂は建てられませんでした。
平成18年夏、関雪の「お堂」の保存の相談を受けて、悲願だった「平和を祈る護国観音」改め、平和観音像を祀る観音堂として当山に再移築する事になりました。宝塚旧別邸の名称をいただき「冬花庵観音堂」と呼びます。

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平和を祈り文化交流の場へ

和太鼓の演奏で冬花庵の落成を祝う和太鼓の演奏で冬花庵の落成を祝う海を愛した関雪の自由な魂は、明石から知多の海へと舞い降りました。これから、観音堂では、花井探嶺彫刻の研究のほかに、絵画の展示や演奏会の舞台、小グループのサロン等、文化交流の場として使用する事ができますのでお申し込みをお願い致します。
また当山では、不定期の催しをこれまで度々開催してきました。ご案内を致しますので「冬花庵観音の会」へのご入会をお待ち申し上げます。

合掌   

申し込み方法

  • お名前、ご住所、生年月日、お好きな分野・催し物、メールアドレスをご記入の上、大善院までお送り下さい。電話、郵送、メール等方法は問いません。
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